八本松との因縁は深く、昭和の中頃から耳にしていまいたが、訪れるチャンスを失い残念に思っておりましたところ、はからずも旧八本松に新コースつくりをお引き受けすることになったのは、感激と共に何か奇縁のような気もいたしました。
戦前--特に昭和の初期から、その後に続く数々のコースを見ることは、時代の変遷に加えて、その頃、その地方のプレヤーのコースに対する考え方の種々相が伺えて、コース造りの参考ともなり、まことに興味の多いものであります。こうした関心と期待をもって、昭和38年夏、西条を拝見したその脚で、コースから軍用地、そして放牧場と三転した旧“八本松”の跡をつぶさに訪れたわけですが、そこには戦前のコースらしい面影があって、今日各地に見られる山地コースの様相は無く、まことに穏やかな地勢の台地が、山と森に囲まれ、耕地や煙突から遮られた別天地の環境でありました。
およそコースはチャンピオンシップを争うSportsfieldであると同時に、エンジョイメントのためのPlaygroundでもなければなりません。老と若、さらにはシングルとアベレージの対比における調和はクラブ・コースでは最も大切な要素として考えなければならない事柄でもあります。まずこれらの構想の前提として、小型だった旧用地に隣接する平地林を再度にわたっ
て補充してもらうことができたので、私なりに理想像が画けたのではないかと自負している次第です。
特に設計に当っては当時の村尾キャプテンから
①既存の池水をできるだけ多く、かつ多様にとりいれて、景観に潤いを添え、プレーにスリルを盛りこむ
こと。
②旧コース時代の松樹がたくましい大樹となって点在しているのを、そのままレイアウトの上生かして利
用すること。
などのご注文があり、旧八本松コースのよいところを出来るだけとり入れて勘案したものです。
よきゴルフ場は、よき維持管理によって完成されるといわれますが、その点、倶楽部関係各位のご理解と、絶大なるご協力により、その目的は達成されたと思います。
あれから10年、訪れるたびにますます風格をましてゆく広島カンツリー倶楽部が更に立派な代表的コースになることを、いつも祈念しているものであります。
(昭和50年12月発行 「20年のあゆみ」掲載)